両手で抱えきれないほどの、たくさんのオールドローズを君に贈ろう。あの日の約束と、これからの永遠を添えて。
Dear,Christina――
必ず連絡を入れると言って君の元を旅立ってから、もう二年だ。 すまないと思っている。心配をかけている自覚も大いにある。 けれど、ようやく戦争に決着がつきそうな兆しが、見えてきたんだ。 だから、こうして手紙を書いている。 本当に、色々なことがあった。 親友と呼べるような人との出逢いもあったし、別れもあった。 この手で人を殺めもしたし、痛い目に逢ったことも何度もあった。 それでも僕がここまで生きていられたのは……クリスティーナ、 君が僕達の故郷で待っているということを、知っていたからだ。 そうそう、ローウェンブルクの森に、オールドローズが咲いていたんだ。 色々なことを、思い出したよ。君の笑顔、君の声…君との約束。忘れていた訳じゃないけれど。 それから、ノルズウェイのオールドローズや、君の焼くチェリーパイの味。 クリスティーナ、早く君に逢いたい。早く君を、この手で抱きしめたい。 僕は元気だから。だから――どうか君も、元気でありますように―― 「――こいつはずいぶんと熱烈な 二流の宿の一室分くらいの広さのテントではあるが、小麦色に焼けた肌の男達が何人も押しかけてくればむさ苦しいことこの上ない。だから、いつもは出入りの度に下ろされる入り口の幌も今日ばかりは開けられたまま、新鮮な空気と柔らかい日差しとをテントの内部に招き入れている。 その空気や日差し、それらを運ぶ穏やかな風すらも、そこで繰り広げられている応酬を楽しんでいるかのようだった。 ――普段なら作戦会議用の資料や地図が所狭しと並ぶその長机の上では、一枚の便箋が実に多くの視線を受け止めていた。上座――定位置の席にどっかりと腰を下ろしているのは、居座る他の男達よりさらに二回り近くは齢を重ねているだろう、皺を刻んだ男。そのすぐ側の椅子にどこか申し訳なさそうに座っている年若い青年が、ロビン・フローライトである。傍から見れば親子のような彼らを取り囲むようにして群がる他の青年達は、これまで共に数々の戦いを潜り抜けてきた――言わば心強い仲間――のはずだ。 「……押し、ですか……」 戦場に於いてはどんな手紙であっても――それこそ恋文の一通を出すだけでも、一応の検閲を受けなければならない。恋文と偽って、敵国に情報を渡そうとする者がいないとも限らないからだ。 もっとも、宛て先が明らかに女性の名前――クリスティーナ・クラインだと判明した時点で、その懸念も溜め息のように流れ落ちて消えるだけなのであるが、ロビンは、この何とも形容し難い恥ずかしさから一向に解放される気配がないことを、ひしひしと感じていた。 要は、故郷を出てから丸二年、顔も見ることすら出来ないでいる婚約者への想いを今頃になってやっと一枚の便箋に書き上げてみせた青年の、困惑する顔を見て楽しんでいるのである。 「大体『殺める』なんて物騒な言葉、恋文に使うんじゃねえよ、お前。いいか、お前の帰りを待ってる人々が知りたいのは、『今のお前』のことなんだぞ。親友の存在なんかあとで直接話をすりゃいいだろう。第一『だから、こうして手紙を書いている。』ってな……戦争と彼女と、どっちが大事なんだって話だ。それに手紙ってのはな、日記じゃねえんだよ」 加えて上官直々の手厳しい添削までついているのだから、笑いの種にならないはずがない。 現に、“検閲”者である上官アルトリートだけでなく、これまでいくつもの戦線を共に乗り越えてきた仲間達までもが“検閲”だと言い張って彼の周りを取り囲んでいるのだ。しかも、二年前に初めて顔を合わせて以来見たこともなかった、好奇心に満ちた笑顔を一杯に広げているのである。憎めないとは言え、性質は悪い。 「これでも、ありったけの想いを込めたつもり……なん、ですが……」 「ありったけかぁ? まだまだ六割弱ってところだな。あと四割分頭捻って考え出せ。出来ねえってんならせめて体裁だけでも整えろ。もっと詩人になれ。込めた気持ちが同じでも、言葉が美しい方が見映えはいい」 戦場では心強く頼もしい味方であっても、ここでは誰も救いの手を差し伸べてくれない。恨みがましく睨んだ所で、彼らの中では最年少と言ってもいいロビンは、寧ろ彼らにとっては格好の遊び相手という訳である。 「そういうもの……ですか?」 そして、上官と彼の仲間達は、凡そ彼らが想像していた通りの――困惑と恥ずかしさで顔を赤くし、返答にすら詰まりながらも説得を試みるロビンの顔を見て、笑いを堪えているのであった。 「そういうもんだ。それに、恋文ってのは夜に書くもんだと相場が決まってるだろ? こんな真昼間から持ち込むんじゃねえよ」 一斉に上がる笑い声。酒の匂いこそ満ちてはいないものの、ここが戦場のど真ん中でなくどこかの町の酒場だと言われた所で、目を閉じてその響き渡る喧騒だけを耳にしていたら大抵の者は信じ込んでしまっていたことだろう。 このような和やかな雰囲気で場を満たす余裕があるくらいには、状況は安定していた。 ロビン達が属する共和国軍は先日の戦闘により見事敵国――コールウェールズ帝国軍の最前線であった工業都市キンデルディーケを占領下に置くことに成功し、このことによりローウェンブルクからキンデルディーケまでの線路が繋がった。ロビン達は主に最前線に物資を届ける役目を担っていたが、これからは列車がその役目を負うことになる。 誰が書いたのかもわからない――『戦争』という、途方もない頁数を持つ分厚い本があった。幕開けはほんの些細なことだったのだろうが、その本を開いた者はもうこの世にいない。 それでも帝国と共和国――二つの国にわかれた多くの人々が、それぞれの信念を武器という刃に変えて戦った。互いに譲れないものがあり、護りたい人がいた。戦況は五分五分で、どちらに軍配が上がってもおかしくないような、そんな戦いが何度も起こった。 いつか訪れるだろう結末をより良いものにするために、人々は互いに傷つけ合い、殺し合いながら、戦い続けた。 しかし、その本を読み進めることに――同じ血を持つ者同士でありながらその血を流し合うことに、人々は段々と疲れを感じ始めていたのだ。終わりの見えない戦争に終わりを求め、奇跡が起こりはしないかと願う者も少なくはなかった。 そして先日の戦い――それは南風の女神がもたらした奇跡だった。キンデルディーケが共和国軍の手中に収まったことで、その均衡は一気に破られたのである。 五年という歳月をかけて書き継がれてきたその本の最後の頁が、ようやく開かれようとしていた。 彼らが駐在しているローウェンブルクとコールウェールズの国境付近にも、ようやく『平和』の紡ぎ手が手を差し伸べつつあった。 「まあ、構わんがな。だが、男ならここは一つ……“君を抱きたくてたまらないんだクリスティーナ。帰ったら夜は寝かせない”とか、それくらい入れておけ」 「……な、っ……!?」 「それとも……ああ、“ローウェンブルクのオールドローズよりも、君は美しくなっているだろうね”……くらいがお前ほどの初心な男にはちょうどいいかもしれんな」 *
――昼の一幕をぼんやりと映し出していたランプの明かりが消える。ロビンはそれだけの時間が経ってしまったのかと思いながら、小さく息をつき、肩を竦めた。 あれから散々添削という名の冷やかしを全身に浴びて、気づけば日も暮れてしまっていた。考えてみればたかだか一通の恋文でよくもまああんなに時間が流せたものだと思わなくもないが、その引き金を引いたのは紛れもなく自分なのだから、何も文句は言えない。 夕飯や酒は何とか喉を通ったものの、肝心の手紙の文面が一向に出てこない。書きたいこと、伝えたいことは溢れるくらいにあるというのに、それらは泡沫のように浮かんで消えるだけで、言葉という形になってくれないのだ。 酔いは当の昔に醒めてしまっていて――そうやってロビンは皆が寝静まった後も一人、ランプがもたらす仄かな光だけを頼りに机に向かっていたのである。 書きかけの手紙は、まだ署名を連ねる段階にまで達していない。あと少し、伝えたい言葉がどうしてもペンに宿らない。 (綺麗に、なっているんだろうな……) 二年が経った。もうすぐ彼女も十九歳になる。時間は流れているというのに、目を閉じるだけで鮮やかに思い出せるその姿は、二年前のあの日と変わらない。 ノルズウェイの森――幼い頃から二人で遊んでいた、オールドローズの咲くあの森で、ままごとのような他愛もない約束をした。 物心ついた時から、繰り返し囁き合った言葉だった。けれど、それは誓いだった。 その約束を永遠のものにするために、彼女の元へ、生きて帰らなければならない。 「……クリスティーナ」 彼女も同じように、眠れぬ夜を過ごしているのだろうか。自分のことを、思ってくれているのだろうか。 夢の中でも逢えれば救われる。けれど、それはほんの一瞬。 ――いや、同じようになどと括れるはずはない。たかだか恋文の一通で悩む自分のそれとは、比べ物にならないだろう。 待つと言うのは、とても心細いものだ。幼い頃、隣町に出かけたまま三日帰らなかった両親を心配して眠れなかったことがあった。だからこそ、待つことの心細さは否が応でも知っている。 数日ならば、今はあっと言う間だ。けれど、彼女は二年も待っている。 ローウェンブルクの人込みに、いるはずのない彼女を探したこともある。戦場で食べたチェリーパイに、彼女が焼いたそれの味を重ねたことも。 思い出したなんてことはないのだ。いつも彼女は女神だった。どんなに死神が手を伸ばしてきても振り払うことができたのは、彼女という女神が背中から抱きしめていてくれたからだ。 ロビンは今更ながらに、どうしてもっと早く手紙を書かなかったのだろうと悔いた。 誰よりも寂しがり屋の彼女のこと、不安で眠れないような夜を、過ごしていないはずはないのだ。 春先とは言え、夜明け前はとても冷え込む。ロビンは外套の上にさらに毛布を被り、テントの外へ歩み出た。頭を冷やさなければと、何とはなしにそんなことを思いながら。 白い息が風に溶ける。ランプがなくても真っ直ぐに歩くことが出来るくらいには、外は明るさを手に入れていた。 そうして、明け方の空を見上げた。 「あ……っ」 ロビンは半ば呆然と、その場に立ち竦んだ。流れていく雲を抱くように、空の色が変わり行く様を見た。 星の飾りが散りばめられている闇色の衣を脱ぎ捨て、幾重にもレースのヴェールを重ねたような暁のドレスを纏う。山の頂が差し出した光の冠をその頭上に抱いて間もなく朝の訪れを告げるであろう空は、あの日見たオールドローズの色によく似ていた。 冷え切っていたはずの風にぬくもりを覚え、オールドローズの――彼女の香りが鼻腔を擽るのを感じた。 見上げた空の中に――たくさんのオールドローズを抱いて微笑む、少しだけ大人びたクリスティーナの姿を見たような気がした。 そこに、彼の帰るべき世界があった。 「――っ!」 ロビンは踵を返してテントの中に戻ると、机の上で暇を持て余していた書きかけの手紙を一気に丸めた。 新しい紙を取り出して、勢い良くペンを取り上げる。無駄遣いは駄目だとわかっているけれど、そこは目を瞑ってもらうことに決めた。 その勢いのまま一気に書き上げようとしたが、やはりそう上手くは行かない。途中何度も言葉を選び損ね、手を止めながら、それでも、一晩悩んでいたのが夢か何かのように、あっさりとそれは完成してしまった。 言葉を無理矢理飾る必要などなかったのだ。ただ、ありのままの気持ちをそのまま書けば、それでよかった。そんな結論にようやく辿りつくことができて、ロビンは何故だかおかしくてたまらなかった。 それから、数刻の後。 「お前、何だ……やればできるじゃねえか」 まさかたった一晩でこれほどまでに様変わりするとは予想だにしていなかったのだろう。アルトリートはぽかんと、生卵がそのまま入ってしまいそうなくらいに口を開けながらロビンが持ってきた手紙の文面を眺めていたが、結局いつも通りの豪快な笑い声と共に太鼓判を押してくれた。 「だが、季節は巡らねえ。こっちの事情がちっと早まりすぎたな。おい、お前ら、そんなこそこそと隠れてねえで、堂々と覗きに来い」 「えっ……?」 アルトリートの呼びかけに、テントの外で聞き耳を立てていた仲間達が、はぐらかすような笑みを湛えてぞろぞろと入ってくる。テーブルの周りを取り囲むように同胞達が顔を揃えると、アルトリートは深呼吸をして、彼らを見渡した。一瞬にして緊張の使者が駆け抜ける。 「……さて、お前ら。そういう訳で今日は帰る準備だ。我々の敵は去り、我々の戦は終わりを迎えた……ってのは格好よく決めてみたかっただけだが、要はお前らも知ってる通り、先日の戦で前線がキンデルディーケまで動いたおかげで、早い話が俺達の役目がなくなっちまったって寸法だ」 不敵な笑みを浮かべる上官の姿と、彼がたった今口にした事実――僅かな沈黙を挟み、盛大な拍手と歓声が生まれた。 「良かったな、ロビン。愛しのクリスティーナの顔が見れるぞ!」 隣に立つ戦友に抱きつかれ、ロビンは少しばかりうろたえてしまったが――それでもその喜びを分かち合いながら、胸の奥から次々にこみ上げてくる嬉しさを何と表現すればいいのか、そのことをばかりを考えていた。 アルトリートの言葉にさらに付け加えるならば、明日からは南方での戦いを終えたローウェンブルクの精鋭達が最前線の戦列に加わるそうだ。敵側は既に戦意を喪失しているに等しく、最後まで抵抗を試みようとしていたコールウェールズの皇帝が、削り取られていくばかりの領土と民の命に観念し、その重い腰を上げたというのである。 休戦協定が結ばれるまで、さほど時間はかからないだろう。平和の来訪は夢ではない。国のために戦った彼らが一足早く戦線を退いた所で、誰も文句は言わない。 *
これまで共和国領の終着駅だったローウェンブルクの町は、今やノルズウェイとキンデルディーケを繋ぐ通過点に過ぎなくなっていたが、ロビン達が初めて訪れたあの時よりも活気に溢れていた。行きかう人々の表情にも、活気が満ちているように見える。 ちょうどやって来ていた汽車に乗って南方へ帰った者もいれば、ロビンと同じようにノルズウェイ方面へ向かう汽車を待つ者もいる。共和国の旗の下に集い、共に戦った仲間達が――それぞれの故郷へと帰っていく。 ロビンは小さな鞄の奥に紛れ込ませていた封筒を、ローウェンブルクの小さな郵便局の前にあったポストに託した。 どうせ行き先は同じなのだから直接手渡せばいいだけの話なのだが、あの文面を思い返すだけでも照れくさくてたまらないのだ。 帰りの切符を手にすることができたとは言え、ノルズウェイ行きの汽車はいつ到着するのかわからない。もしかしたら、それよりも先に貨物列車が通るかもしれない。 それに、どちらが早く着くのか競争もしてみたかった。 いや、あるいは――この手紙が少しでも早く彼女の元に届く可能性があるのなら、それに賭けてみたかったのかもしれない。 やがて、一人、また一人と手を振りながら去って行き――待ち続けた日々は瞬く間に過ぎて、故郷へと続く汽車が、故郷からやってきた。
愛するクリスティーナ――
君の側を離れてから、二度目の春がやってきた。 君は、元気にしているだろうか。 取りあえず僕は、こうして手紙を書けるほどには元気にしているよ。 手紙を送ると言ってから、こんなにも時間が流れてしまったのは、 それだけ机に向かう暇もなかったのだと、そう思って頂ければ幸いかな。 もちろん、笑ってくれても構わない。けれど、どうか怒らないでやって欲しい。 僕は君の怒った顔も好きだけれど、笑った顔の方がもっと好きだから。 ロビンはたった一人で汽車に揺られていた。一つ前の駅までは老婆や家族連れなど、様々な人達が入れ替わり立ち替わり彼を話し相手にしていたけれど、終点のノルズウェイに向かう人は、彼が乗っている車両には、彼を含めても両手で数えられるほどしかいなかった。 ノルズウェイまではあと僅か。僅かと言っても一日かかるが、これまで戦場で過ごした時間に比べれば、それこそ僅かな間だ。 どうせ終点までこのままなのだし、眠ってしまってもよかったのだが――なぜだか、ロビンはなかなか寝付けないでいた。世界が移り変わるその瞬間を、過ぎ去ってしまえば二度と訪れないその瞬間を――少しでも多く目に焼き付けておきたかったのかも、しれない。 戦いに勝つために、人は汽車が走るこの道を守り抜いた。鉄で作られた二本の線の間におおよそ同じ大きさの木切れを等間隔に敷き詰めただけの、有体に言ってしまえばそんな物だ。 しかし、これは命の道だった。人々を導き、食べ物を運んだ――命の道だ。 この道を守ることで精一杯だったから、それ以外の世界は傷つき、荒れ果ててしまった。いくつもの町が壊され、森や草原が焼かれ、花が枯れてしまった。 けれど、戦いは間もなく終わる。再生の時は、これから始まるのだ。戦争で費やされた年月よりも、遥かに長い時間をかけて。
――――……ああ、困ったな。暫くペンを握らなかった間に、
どうやら僕は字の書き方すらも忘れてしまったらしい。 言いたいことも書きたいこともたくさんあるというのに、 いざ紙とペンを目の前にすると、何も言葉が出てこないんだ。 クリスティーナ、早く君に逢いたい。早くこの手で君を抱き締めたい。 元気にしているだろうか。こればかりが今は気がかりだ。 荒野の向こうにゆっくりと沈んでいく夕日の姿を、ロビンは目を細めながら見つめた。 どんなに大地が荒れ果てようとも、日は沈み、月は輝き、星は瞬き、そしてまた朝が訪れる。それは必然的に繰り返される時間の営み。その営みに沿って、人もまた、成長していく。 焼けてしまった野原にも、いずれ風が運んだ種が根を下ろし、新たな花を咲かせるのだろう。 どれくらいの時を要するか、それはわからない。“それ”を確かめる頃には、自分はもう、この世界にいないかもしれない。 けれど、いつか必ず、この焼け野原も草原になる。鳥が歌い、獣達が駆け抜ける――そんな世界が再生される。
国境付近も、だいぶ落ち着いてきた。
もうすぐ戦争は終わると皆は言っているけれど、どうやら本当のことらしい。 そろそろ、君が焼くチェリーパイの味も恋しくなってきた。 だから、あと一つ季節が巡ったら…… カメリアベリーが美味しい季節になったら、きっと君の元へ帰るよ。 どうか、それまで待っていて欲しい。必ず、君の元へ帰るから。 多くの人々の心を慰めることの出来る画家でさえ、作り出せない大自然のカンバス。 世界は、こんなにも、大きくて狭い。 脆く、儚く、そして強い。 ――世界は、なんて美しいんだろう。
こっちでは、君の大好きなオールドローズが、とても綺麗に咲いている。
そっちでも、もうすぐ咲くだろうと思う。 さすがに花そのものを手紙に添えることは出来ないけれど、 せめてこの、ローウェンブルクの春の香りだけでも一緒に届くことを願って。 クリスティーナ。どんなに遠く離れていても、世界は繋がっている。 僕の帰り道は、君の居る所へ今もちゃんと続いているよ。 「おや、君もノルズウェイに帰るのか。戦がもうすぐ終わるという話は、どうやら、本当のことらしいな」 切符を確かめに来た車掌は、一目でロビンが戦場から帰る所だということがわかったらしい。この汽車に乗ってノルズウェイから来たのだという。汽車に乗って真っ直ぐ走っているだけなのに広い世界を旅した気分だと、笑って話してくれた。 「……そうだ、ノルズウェイのオールドローズは……咲きましたか?」 ロビンは、何とはなしに問いかけた。ローウェンブルクには咲いていた。ノルズウェイにももうすぐ咲くはずだと、そう思った彼に、車掌はしっかりと頷いてくれた。 「ああ、行きに森を通った時には、たくさんの蕾が膨らんでいたからね。もうすぐ満開だよ。……この汽車がつく頃には、ちょうど見頃になっているだろう。そうそう、今年は――カメリアベリーも豊作らしい。妻が美味しいチェリーパイを作ると張り切っていてね」
この二年で、帰る場所があるということの心強さを何度も実感した。
君の笑顔や声を、色々なものをひっくるめて、『君』を忘れずにいられたから、 こうして僕は、この地で生きてこられたのかもしれないとさえ、今は思う。 「そうですか……ありがとう、ございます」 深く頭を垂れたロビンの肩をぽんぽんと叩き、車掌は機嫌のよさを存分に振りまきながら、別の乗客の所に向かった。 ロビンは窓の外を流れていく風景を見つめ、そして、溢れてきた涙を抑えるように瞼の上に指を添えた。
だからこそ、僕はこの言葉を君に贈ろう。
抱えきれないくらいのオールドローズを、君に捧げよう。言葉に出来ない君への想いを、たくさん――たくさん、詰め込んで。 君が持てないくらいに重くなってしまったら、僕が支えてあげるから。 溢れるくらいの、それ以上の幸せを、一緒に拾いながら歩いていこう。僕達の世界を、一緒に創り上げていこう。
愛するクリスティーナ、君に逢えてよかった。
僕の心は、いつでも君と共に。 少し早いかもしれないけれど、十九歳の誕生日、おめでとう。 帰ったら、まずは何から話そう。それこそ、眠る暇すら惜しいくらいに、話したいことがたくさんある。 汽車は間もなく、ノルズウェイの森に差し掛かる。 恥ずかしげに顔を綻ばせているだろうオールドローズの姿を思い描きながら、ロビンは束の間、目を伏せた。 |