お伽噺のお姫様に、ずっと憧れていた。 毒のりんごを食べてしまっても、魔法使いの呪いで眠ってしまっても、王子様が助けに来てくれるような――そんなお姫様になりたいと、ずっと思っていた。 子供が考えるような、他愛のない夢だ。それでも、彼は決して笑わずに聞いてくれた。 「いつか僕が、その夢を叶えてあげる」 01.秘密基地 ―Secret Base.―
私達は、生まれた時から隣同士の家に住んでいた。 父も母も互いに仲が良く、年も同じで他に兄弟もいなかったため、物心ついた時にはもう手を取り合って遊んでいたと思う。 彼はいつもおひさまの匂いを身にまとっていて、ことあるごとに、私を外へと連れ出してくれた。 家の裏手にある森は、私達の庭だった。 鬱蒼と木々が生い茂り、萌える若草や甘い花々の匂いの立ち込める大きな箱庭。 場所によっては太陽の光の差し込む隙間すらないものの、獰猛な獣は一匹としておらず、獣と言えば小さな鳥が小さな巣を作り、ひっそりと暮らしている程度。 だから、子供が二人で歩き回ってもさほど危険はなく、事実、私達の両親も子供の頃から連れ立ってこの森で遊んでいたのだそうだ。 「秘密基地を作ったんだ。でも、きれいにするのに時間がかかってしまって」 そう言いながら、彼はあの日、私を“秘密基地”へと連れて行ってくれた。 よく晴れたあたたかな春の日で、その日は、私の七つの誕生日だった。 「これは……」 目の前を覆わんばかりに広がる鮮やかな色に、私は、言葉を失った。 ――ちょうど一年前のこの時期、六つの誕生日を間近に控えた頃、私は風邪をこじらせて寝込んでしまった。 その時、いつになく高い熱が出た。ベッドから出られない私を見て、何か気分を紛らわせることの出来るものはないかと、探しに出かけてくれたのだろう。 彼は、森の中を歩くうちに唐突に目の前に現れた青紫色の蝶の後を追って、この空間を見つけたのだそうだ。 その時はこの場所のことは教えてくれなくて、ただ、森の奥で見つけたという綺麗な白い花を見せてくれただけだった。 「お誕生日、おめでとう」 それから一年が過ぎて、私の目の前には、黄金色の花の絨毯があった。 七つの誕生日に彼が用意してくれたのは、一面に咲き綻ぶタンポポだった。 一面と言ってもそれほど大きいわけではなくて、せいぜい四、五メートル四方程度の広さしかなかったのだけれど、それでも、当時子供だった私からすれば、決して狭くはない空間だった。 おひさまの光をいっぱいに浴びて、鮮やかな黄色に染まった花の絨毯。 風に遊ばれたやすく舞い上げられてしまうような種を、両手にあふれるほどにかき集め、隅から隅まで埋め込んだのだという。 「この場所を、きみにあげる」 太陽の光をいっぱいに浴びて咲き誇る、タンポポの群れ。彼女達と同じように誇らしげに笑った彼の顔を、今でも覚えている。 プレゼントは“タンポポの花”ではなく、“タンポポの咲くこの場所”そのものだった。 彼らしいプレゼントだと思って、私も、一緒に笑ってしまった。 彼だけの秘密基地だったそこは、私達の秘密基地になった。 それからも、彼と一緒にたくさんの景色を見た。 彼はいつも側にいてくれて、私に、たくさんの世界を見せてくれた。 そんな彼を、王子様のお使いの人だとか、天使様の生まれ変わりなのだとか、あるいは、魔法使いだとか。 例えばそんな風に思えていたら――あるいは本当にそうだったなら、私もお伽噺のお姫様になれたのかもしれない。 煌びやかなドレスを着て、金色に輝くティアラを被って、王子様と一緒に月明かりの下でダンスを踊る――そんなお姫様に。 けれど私の隣にいる彼は、いつまで経っても幼い頃からずっと変わらない、たった一人の彼だった。 そして、二十歳の誕生日。 あの頃よりも大きくなった私達は、あの頃と同じように手を繋いで、“秘密基地”へとやってきた。 昔のように毎日足を運ぶこともなくなってしまった“秘密基地”はすっかり緑の草に覆われてしまっていたが、それでも、変わらずに咲いていたタンポポの絨毯が、そこに秘密基地があるのだということを教えてくれた。 彼は、この場所に家を建てようと言った。 「本物のお城のように豪華なものとはさすがに行かないだろうけれど、僕達のお城を、ここに作ろう」 銀色に輝く小さな指輪を私の左手の薬指に通しながら、彼は、幼かったあの頃から変わらない笑顔でそう言った。 「僕のお姫様に、なってくれますか?」 こうして私は、お伽噺のお姫様ではなく、彼のお姫様になった。 彼と私の秘密基地は、何倍も大きな家になった。 季節はさらにもう一つ巡り、小さな庭の片隅に、黄色いタンポポがいっぱいに咲いた。 ――そして、彼と私しかいなかった“私達のお城”に、もうすぐ、新しい家族がやってくる。 Fin.
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