夢を見た。
 どこまでもどこまでも続く草色の絨毯に、ひとつ、ふたつと、小さな花が顔をのぞかせる夢を。
 
 それは私達の命の欠片。
 私達が一生にただ一度だけ、咲かせることのできる花。


06.花の海に沈む ―The Flowerful World.―


 私達は、父と母からそれぞれひとつずつ与えられる花の『種』をふたつ、生まれる前から身に宿している。
 私達の命を糧にして咲くその花は、私達の生が終わると同時に、種を残して枯れ果てる。
  
 私達――『花人』には、種を芽吹かせ、花を咲かせる力がある。
 私達は、花を咲かせるために世界を巡り、そして世界のさまざまな場所で散ってゆく。
 森の奥で。山の頂で。水のほとりで。
 もし人のそばでその時を迎えたなら、看取ってくれるだろう彼らに私達は等しくこう願うだろう。
『どうか、あとに残る種を、ゆたかな土に蒔いてください』と。

 たくさんの『幸い』を抱いた種は、やがて見事な大輪の花を咲かせるだろう。
 その花が実を結べば、新たな種がいくつも生まれ、同じような花を咲かせることになる。

 私達の願いは、ただひとつ。
『花』を、咲かせること。


 ――私は。
 私は、待っている。
 いつかこの花が世界中で芽吹き、花を咲かせるその時を。




 私は、私の命が終わるのだと理解した。
 死ぬ時は大きな湖のそばがいいと、ずっと前から何となくではあるがそう思っていた。
 旅をする途中で見つけた湖に、長い時を経て、再び戻ってきた。

 今、私は、澄んだ水を湛える湖のそばに横たわり、空を見上げている。

 長い旅だった。
 広い世界をたくさん歩いた。
 多くの人々と出会い、別れ、そして今の私がここにある。
 他の仲間達も、言うまでもなくきっとそうだろう。

 もっとたくさんの場所に行きたかったと、今になって思うがもう遅い。
 もっと、もっとと、そう願えるくらいには、私の生涯はとても満ち足りていたものだった。

 私は、この短い生涯において、どれほどの花を咲かせることができただろうか。

 よく晴れた空が見える。
 透き通る青色へ向かって伸ばそうとした手は、しかし、もう動くことはなかった。

 ああ、終わるのだと、そう感じた。

 深く息を吐き出すと、不意に、意識が浮かび上がるような感覚をおぼえた。
 風が、私の魂を身体から引き剥がし、どこかへと連れてゆこうとする。
 私は、その風に身を委ねた。すると、ふっと、身体が軽くなった。
 私は風に連れられて、はるかな高みへと押し上げられてゆく。
 死ぬとはこういうことなのかと、何とはなしに思った。
 振り返れば、真下に、大の字になり寝転んでいる私の姿が見えた。
 かさかさに乾いた、皺だらけの棒切れのような『私』だ。
 なんと間の抜けた姿だろうと、場違いにもそう思ってしまったのは否めないが、穏やかな表情であったことは、私自身にとっても救いかもしれない。

 横たわる身体に、もう魂は宿っていない。
 なぜなら、魂である『私』は、すでにこうして身体を離れているからだ。

 私は、私の身体に咲いていた花が、枯れているのを確かめた。
 やがて肉体が朽ちれば、あとには、種が残るだろう。

 その種がどんな花を咲かせるか、『私』は見届けることができないが、きっと、とても美しい花に違いない。
 私の命、私自身――私の誇りなのだから。




 風に連れられて運ばれた先。見下ろせば、一面に咲く淡い色の花がある。
 風と遊びころころと笑いながら、聞き覚えのある歌を奏でているのが聞こえる。
 何の前触れもなく無条件に心を満たしていく――それは、遠い遠い夢の中で聞いたことのある歌だった。
 息をするように、その歌の続きを思い浮かべることができた。
 やっと帰ってきたと、初めておもむく場所であったはずなのに、なぜだかそう思った。
 懐かしいと、そう感じた。

 私をここまで運んでくれた風に別れを告げ、私は、眼下に咲き誇る花達へと手を伸ばした。
 花達のまなざしが、いっせいにこちらへと向いた。
 嬉しげにほころぶ笑みが見えた。


 おかえりなさい。


 おかえりなさい、愛しい子。


 伸ばされた手を握り締める。
 おかえりなさいと繰り返す声が聞こえる。
 よろこびの歌で満たされる。

 これは、遠い昔に聴いたこれは、子守唄だ。
 父が、母が、きょうだい達が、眠る私のために紡いでくれた歌だ。


 そして私は、花の海に沈む。
 かつて私を抱いていた世界に抱かれて、ひとときの眠りに落ちてゆく。
 いつか訪れる、私の命の欠片が誇らしげに咲き誇るその時を、果てない夢に見ながら。



Fin.



20100404
『花の海に沈む』

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