第二章 嵐の後に3
「……どう? 美味しい?」 やはり作った側としては、何よりも食べる側の反応が気になるらしい。テーブルを挟んでいながら半ば身を乗り出すようにして、ティナは二人の顔を覗き込んだ。 「美味しいに決まってるじゃない。ねえ、オズ?」 いつもながらに照れくさいのか、シアは素っ気なくオズウェルに話題を振った。オズウェルはもぐもぐと口を動かしながら、シアとティナ、二人に対して首を縦に振る。ティナに向けては、親指と人差し指で丸を作ってみせた。途端に、ティナの顔はシアよりも幼い少女のような、心底嬉しそうな笑みで満たされた。 「よかった。今日はいつもよりも上手にできたと思ったから、とっても嬉しいわ……で、何があったのかしら?」 料理に対する評価のやりとりもそこそこに、ティナは話の続きを促すように首を傾げる。相変わらずにっこりと穏やかな笑みを浮かべていたが、これが逆に悪意のない脅迫であるということを、オズウェルもシアも知っていた。一度でも興味や関心を持ったことは、何が何でも詳しく聞かずにはいられないのが、このティナという女性なのである。 「……ママってば、こういう時ばっかり母親の立場を利用してしつこく聞きたがるのよね」 「だって、私はあなたたちの母親だもの。いつだって母親の顔をしていると思うわ?」 シアのわざとらしい溜め息にも動じる様子はなく、やはりあっさりとティナは言ってのけた。そんな彼女に一矢を報いれそうな手段を、オズウェルとシアはいまだに見つけ出すことができない。あえて付け加えるならば、立場の面でも大人である彼女のほうが圧倒的に優位だ。ここでだんまりを決め込めば、明日のおやつに出逢えなくなってしまうかもしれない。こういう時に限って、『オズウェルやシアの大好物を腕によりをかけて作る』などと言い出すのだから、ますますこちらの分が悪い。おやつの有無を左右できるのも、母親の特権である。 「そもそも、子供の成長を見守るのが親の務めですからね。悩みがあるなら、親としてアドバイスしてあげられることも、あるかもしれないじゃない? それで、結局何があったの? その分だと、ティナママに言えないことでもなさそうだけれど?」 シアは恥ずかしそうにそっぽを向いてしまったが、どちらかと言うと、その日一日の出来事をティナに報告するのはいつもシアの役目だ。ティナに促されずとも先ほどのように進んで話し出すのが常なのだが、今日に限ってシアは照れたまま声を発しようとしなかった。 オズウェルは理由を考えながら、やはりこの年になってまで手をつなぐというのは、女の子としては恥ずかしいものなのだろうかなどと思ったりもする。その真偽をシアに直接尋ねるのも場違いのような気がしたので、仕方なくというわけでもなかったのだが、代わりにオズウェルが今日の出来事をティナに話した。 いつものように精霊のことで悩んでいたこと、そこにシアとヘルメスがやってきたこと、光の精霊、《時渡りの民》の存在意義、そしてティルトのこと――食べる傍らで相槌を打ちながら耳を傾けてくれているティナに対して、おおよそ、話したのはそれくらいだった。もちろん、手をつないでここまで帰ってきたことは、オズウェルとシアだけの秘密だ。 「なるほどね……ぼくがこんなに悩んでるっていうのに、どうしてあなたはそう簡単に、ぼくの精霊が光の精霊だなんて言えるんだ、って、オズくん、怒っちゃったんだ?」 ややあって、ティナがそんな感想を述べる。先ほどの場面に立ち会っていたシアが思わず吹き出してしまうような、のんびりとした口調だった。あえて詳しく語ることを避けたオズウェル自身の心情までも、彼女はお見通しだった。 「……やっぱり、ティナさんには敵いませんよ」 「オズ、ママをほめると調子に乗るわよ?」 シアの言葉にオズウェルは肩を竦め、ティナは小さく胸を張る。食卓は笑い声で溢れた。 「こう見えても、一応、あなたたちの倍以上は生きてるんですからね。でも……そうね、先生の肩ばかり持つわけでもないけれど、可能性としては、オズくんの精霊が光の精霊かもしれないというのは、まったくないというわけではないのよ?」 「でも、ぼくはそんな……」 「オズくん」 否定しかけたオズウェルの鼻先に、ティナの細い人差し指がぴっと突きつけられる。 「精霊はちゃんとパートナーの心を汲み取るわ。だからその結果、思いもよらない精霊が生まれてくるということも……決して、ないとは言い切れないのよ」 「……はい」 「たとえば、精霊が《卵》から孵るための機は、既に熟しているのかもしれない。けれど、精霊自身が《卵》から出るための機会をうかがっているということだって、十分にありうるの。オズくんの精霊……ノルくん自身も、オズくんと同じように悩んでいるわ。どんな力がオズくんに一番相応しいか、どんな力をオズくんは一番必要としているか……こんな風にね」 オズウェルは黙ったまま、ティナの言葉を一字一句漏らすまいとでもするかのように聞き入っていた。そうして話が終わると同時に、その顔にわずかに苦笑が浮かぶ。 どう返せばいいものか、そう簡単には纏まらない。 既にあらかた食べ終えてしまったティナは、テーブルの上に肘をついて両手を組み、その上に顎を載せてオズウェルを見つめてくる。そのままで、オズウェルの答えを待っているようだった。 「じゃあ、ぼくも、もっともっと悩まなければならないと、そういうこと……ですか?」 何よりも先にそれだけを返したオズウェルに対し、ティナは大きく頷くと、悪戯っぽく片目を瞑った。 「そう、若いうちはもっとたくさん悩みなさい? 悩んで、悩んで……だめだと思ったらちょっと立ち止まって休んだり、泣いてしまえばいいじゃない。もちろん、オズくんにとっては、こんなに簡単に片付けられる問題じゃないってわかってるつもりだけど、でも、精霊が孵るのがちょっと遅いくらい、全然気にすることはないのよ?」 「……泣くのは、ちょっと恥ずかしいかな」 それはオズウェルの心の底からの本心でもあった。 「うん、オズくんは男の子だものね? まあ、オズくんの精霊が光の精霊になりえない決定的な何かがあるとすれば、この世界がおおむね平和だってことくらいかしら」 「あのねえ、ママは楽観的すぎるの」 「だからあなたが心配性なのよ、シア……こういうところばっかり、お父さんにそっくりなんだから」 すかさず横から入れられたシアの言葉に、ティナもまた、ほとんど間髪入れずに応じた。 「――そうそう、これからしばらくの間、海のほうに行くのは控えなさいね?」 食事を終え、後片付けに入りながら、ティナが思い出したように呟く。二人もそれに続き、立ち上がった。食器を洗うのはオズウェル、テーブルを拭くのはシアの仕事だ。ティナはその間、食後のお茶の準備をする。 「どうして?」 「我らが老ベルメールからのお達し。ほら、スヴェンくんがさっき帰って来たでしょう? 西の空が荒れているみたいで、少し大きな嵐が来るかもしれないんですって」 ティナの話は延々と続く。オズウェルは食器を洗う傍らで、嵐が来る前に先生が帰ってくればいいけれどなんて、そんな呑気なことを考えながら、夕焼けの紅い色が消えかかった窓の外を見つめた。 嵐が来るとは到底思えない、鮮やかな色合いの空だったが、心なしか、風が強くなっているような気がした。 そうして、スヴェンの予想通りに日が暮れてから降り出した雨は、朝になっても止む気配を見せなかった。暗闇の中に稲妻が光り、遠くの海は大荒れの状態だったそうだ。 雨が止むまでの間は、食事などのために何度か隣のシアの家と往復した以外には、オズウェルはほとんど家から出なかった。とても出られるような空模様ではなかった。遠い空を揺るがす轟音は、まるで神が怒っているようだった。 雷が神の怒りであるなら、止まない雨はさしずめ空の涙だろう。何が原因かなどは知らないが、大方ひどく怒られて、落ち込んでしまったに違いない。 強い風と大粒の雨が、窓に叩きつけられる。普段はあまりまとまって降ることのない雨が、珍しく降り続いている。こんなに長く雨が降ることはこの島では珍しいから、雨漏りしないか心配になる。雨が止んで風が吹けばすぐに乾いてしまうけれど、普段から雨に慣れていないので、じめじめした空気がオズウェルはどうにも苦手だった。 ――そんな中、嵐に巻き込まれて難破した船が流れ着いたという知らせが島中に響き渡った。それは雨が降り始めてから二日目の晩のことで、最初にそれをもたらしたのは、シアの父親であるジェイドだった。律儀で真面目な彼がただいまの挨拶も忘れてしまうくらいの事態で、島中がそれこそ嵐にも負けないくらいに騒然とした。 あの時と同じだと、そう言ったのは誰だったか。二年前の嵐の晩と同じだと、そう言ったのは一人ではなかった。外界から来訪者が訪れるのは一度や二度ではないが、それにしては周期が短すぎる。ヘルメスが訪れる前に外界の者がやってきたのは、オズウェルの両親たちが命を落とした約十五年前にまで遡るのだ。 また誰かよそ者がやってくるのだろうかと、オズウェルは何とはなしに思っては、少々憂鬱な気分になった。いつ誰が外から来ようとも、早く帰ってしまえばいい。それがオズウェルの心の底からの思いだった。 「まだ生きている者がいるらしい。手が空いている男たちは西の浜に回れ! 女たちは湯を沸かせ! ありったけの布を用意しろ! ――手当ての準備を!」 張り詰めた緊張が、場を満たしていった。 |