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第一章 世界樹の子供たち


8

「……シア。シアは《卵》が孵る前、どんなことを思っていた? どんな精霊なんだろうとか、考えたりした?」
「わたし?」
 自分を指差して首を傾げるシアに、オズウェルは小さく頷いた。シアはエレインと顔を見合わせ、それから、視線を空中にさまよわせる。その軌跡すら追いかけるように、オズウェルはシアをじっと見つめ、答えを待った。やがてシアは、晴れた日の空の色――水の色とも取れる彼女自身の髪と瞳を示してはにかんだ。
「……わたしは、そうね……この髪に瞳の色でしょう? だから、エレインは水の力を持っているんじゃないかなって、何となく思っていたわ。ほら、母さんもそうだったから。でも、色々と考えてはいたのよ? どんな姿なんだろう、どんな声を聴かせてくれるんだろう――まず一番最初に、何て言えばいいのかしら? ……なんてね」
「そっか……」
 それはオズウェルが予想し、あるいは期待していた答えだった。おそらくティルトや他の大人たちに聞いても、一字一句は同じではないにしろ、内容的には同じ答えが返ってくるのだろうとも思う。精霊について色々と考えているのは、オズウェルだって同じだ。長い一生を共にする『相棒』の存在を気にかけないほうが、逆におかしいのかもしれない。
「……ぼくの精霊は……どんな精霊なんだろう。ぼくは、ぼくがわからない。わからない、んだ、本当に……どうしたいのか、どうなるのか……わからない」
 素直な言葉を、オズウェルはぽつりと口にした。両の手のひらを見つめ、そっと握り締める。その手で掴むはずの力がどのようなものなのか、オズウェルにはまだ見えない。
 ひゅう、と、風が吹き抜けた。シアは空を見上げて、風に煽られた髪をそっと押さえつけた。その口元に笑みが浮かぶ。穏やかな顔つきのまま、シアは空を見ていた眼差しを真っ直ぐにオズウェルへ向けた。
「……オズは怒ってしまうかもしれないけれど、私も、オズの精霊は光の精霊じゃないかなって、思ったりはするわ。可能性は、絶対にないとは言えないもの。だって、オズウェルの髪はおひさまの色みたいだし、瞳は……そうね、世界樹の葉……空の色みたい。私にはない、おひさまと世界樹の色。とても、綺麗よ?」
 彼女の言うところのおひさまの色の髪に伸ばされたその手を、オズウェルは拒むことができなかった。すぐ側に聳え立つ世界樹によく似た、包み込むようなあたたかさだった。
 母親に頭をなでられた記憶も抱かれた記憶もオズウェルにはないけれど、頭をなでられて落ち着くなんて、まるで子供みたいだと思う。だからきっと、似たようなものなのだろう。ゆっくりと、あやすように動くシアの手が、どこか懐かしさすら覚えてしまうような、あるいは遠い昔に知って、忘れられずにいたような感覚に思えて――オズウェルはゆっくりと瞳を閉じた。
「……ねえ、オズ、帰りましょう? 今日の夕飯はメルルのシチューだって、ママが言ってたから」
 シアは笑いながら、オズウェルの頭をなでていた手を、そのまま差し伸べた。オズウェルは瞬き三つ分ほどの間を置いてから、そっと、その小さな手を握り返す。シアの嬉しそうな笑みは深くなり、つながった手に力が込められた。
 手をつないだのは何年ぶりだろう。いつの間にか彼女の背を追い抜いていたのと同様に、いつの間にか、彼女の手の大きさも超えていた。小さな彼女と、小さな彼女の手。もう自分たちは互いに幼くはないと、オズウェルは改めて実感する。
「ティルトはあんなこと言ってるけど、わたしは、そうは思わないの。ねえ、ママやベルメールおばあさまが言うように、オズの精霊はとっても食いしん坊で、よく眠っているだけだと思うのよ」
 彼女なりに、一生懸命に慰めようとしてくれているのが、オズウェルにはよくわかる。決して彼を哀れんでいるからそうしているのではないということも、ちゃんと知っている。
「……きっとすぐに、《卵》の中は窮屈だあ、って……出てきてくれるわ」
 だからこそ、オズウェルは彼女の言葉に頷くことしかできなかった。そうだねと、同意の言葉すら口にすることができなかった。そうして、悔しさと情けなさで溢れ出しそうになる涙をぐっと堪える。
 泣くわけにはいかないと、オズウェルは思った。泣いてしまったら、またティルトに弱虫だと言われてしまう。男の子のくせにと、この少女にも言われてしまうかもしれない。だから、泣くわけにはいかなかった。
「ねえ、オズ」
 間もなく日が暮れようとしている空は、下のほうからだんだんと薄紫色に染まっていた。昼と夜が入れ替わるその瞬間がとても美しいということを、オズウェルはずっと前から知っている。それでいいのだろう。もしかしたら、生まれる前から知っていたのかもしれない。やっぱり、それでもいいのだろうと思う。
 空を見上げたシアの姿を、オズウェルも見上げた。その先に広がるのが空だということしかわからなくても、それでいいような気がした。空の向こうに何があるのか永遠にわからなくても、やっぱり、それでいいような気がした。
 空は彼らが生まれる前からそこにあった。そして、遠い未来に彼らの魂が世界樹の元へ還っても、変わらずそこにあり続けるのだろう。多分、それでいいのだ。
「明日も、晴れるといいわね。明日も、その先も、ずっと」
 彼女の手を握り締めたオズウェルの手に、無意識に力がこもる。離してはいけないと、オズウェルは何とはなしにそう思った。そんなことはあるはすがないのに、もしここで手を離してしまったら、彼女があの空の狭間に吸い込まれてしまうのではないかとさえ思った。あるいは――吸い込まれてしまうのは自分自身かもしれない――そんな、予感がした。
「……そうだね」
 それだけを答えて、オズウェルは口を閉ざした。彼女の家までの遠いようで近い道のりを、二人並んで、黙って歩いた。足取りはゆっくりとしていたが、つないだ手はどこまでもあたたかかった。
「……ねえ、オズ」
 オズウェルはずっと前から知っていた。空の色が綺麗だということを知っていたのと同じくらい、いやそれ以上に、ごく自然に。
「空が、綺麗ね」
 ――これが、彼女の優しさだ。


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