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第一章 世界樹の子供たち


7

 そこに割り込んできた、小さな影と大きな声。オズウェルはきつく閉じていた瞳をおそるおそる開く。
 同時にティルトが小さく舌を打ち、赤い炎は一瞬にして消え去った。
「……シア……」
 うわ言のように少女の名を呼んだオズウェルに、シアはしっかりと頷いた。
 駆け足でやってきたらしく、肩で小さく息をしながら――シアはオズウェルを庇うように彼の前に立ちはだかり、頭ひとつ分高い位置にあるティルトの顔をきっと睨みつける。
「ティルト! またオズウェルをいじめたりしてっ! ティルトのほうがお兄ちゃんなのに、恥ずかしいとは思わないの!?」
 再び開かれたシアの小さな口から、矢のように声が飛び出す。今度は、彼女は一人ではなかった。すぐ側に浮かんでいるのは、水色の、小さな精霊の後ろ姿。シアの精霊、エレインだ。
「怒るな、シア……エレインもそんな顔すんな。てか、別にいじめてるわけじゃねえよ。俺はオズウェルのためを思ってやってんだぜ? 濡れ衣もいいところだ」
 口ではそんなことを言いながらも、ティルトは降参の意も込めてか両の手のひらを高く掲げ、気まずそうに視線を別の方向に逸らした。そのまま、一歩後ろへと下がる。
 身の丈こそティルトのほうが勝っているが、シアの前にあっては、完全に畏縮している。どんな言い訳であろうとも、どんなに宥め落ち着かせようとしている口調でも、ティルトのそれはシアには――特に、こうやって怒らせてしまった以上は、まったく通用しないのだ。それどころか、かえってシアを怒らせるばかりなのである。今日も例外ではなかった。
「時と場合ってものを考えなさいよ! だいたい、何がオズウェルのためですって? どうせ早くこの島を出たいだけのくせに! もしも世界樹に火がついたりしたら、とんでもないことになるってわかってるでしょう!?」
 観念したようにティルトは深々と息をついた。世界を護り支える大樹がただ一人の《時渡りの民》の火でどうにかなるとは到底思えなかったし、おそらくティルトもそう言葉を返そうとしたのだろうと想像はつくのだが、シアの有無を言わさぬ眼差しに気圧されたらしい。ティルトは結局何も言わずに二人に背を向けた。
「へいへい、わたくしめはもうこれ以上余計な手出しなど致しませんゆえに、オズウェルくんはせいぜいシアちゃんと頑張って修行に励んでくださいませー?」
 あからさまに棒読みの台詞に、シアはますます眉を吊り上げた。開きかけた口が何も言わなかったのは、オズウェルがそっと引き止めたからである。ティルトが去り際に見せた、少しばかり拗ねたような、なんとも面白くなさそうな表情にシアはつんとそっぽを向いてしまったが、オズウェルはティルトの背中が見えなくなるまで、その場に佇んだまま一歩も動かなかった。
「……ティルトなんかに言われなくたって、そうしてやるんだからっ」
 ティルトの姿が完全に視界から消え去ってから、シアはぽつりと呟いた。
「シア、ぼくはだいじょうぶだから……あと、頭も冷えた……」
「だいじょうぶなんかじゃなかったわ。ティルトは絶対、オズをひどい目にあわせるつもりだったのよ。オズだけじゃないわ、ティルト、世界樹にも火をつけようとしてた。あとでおばあさまに言いつけておかなきゃ」
 ティルトのこととなると、シアは大概悪い方向に決めつける。それをなだめるのはいつもオズウェルの役目だった。ティルトがオズウェルの側を通りかかっただけでも牙を剥きそうな勢いで睨みつけるものだから、こればかりはオズウェルも、ティルトに同情を覚えざるを得ない。
 どうやらティルトがシアのことを好いているらしいというのは、ヘルメスがこっそり教えてくれた情報だった。さらにそれが半ば一方的な片思いに過ぎないということまで、彼はお見通しだった。もちろんオズウェルはそのことを望んで聞き出したわけではなく、ヘルメスが勝手に喋ったのをたまたま聞いていたというだけなのだが、理由を聞いて、オズウェルも珍しく彼の意見にその場で同意したのを覚えている。
 ティルトの精霊は火。シアの精霊は水だ。たとえすべてを焼き尽くす火であっても、水の力の前ではその勢いも衰えてしまう。実際にティルトはシアのことを好いてはいても苦手としているようだし、精霊のルザもまた、エレインとはあまり関わりたくないような素振りを見せているようだった。
 つまりは、二人の相性がよいはずはないのだ。
「……シア、老ベルメールにも言う必要はないよ。本当にだいじょうぶだから、怒らないで……エレインも」
 繰り返しそう言いながら、オズウェルは改めて少女と精霊を見やる。エレインはシアと同じく空色の髪と瞳を持っていて、上半身は人のそれに似ているが、下半身は魚のようになっている。背中から生えているのは、魚のひれに似たような羽だ。髪は緩く波打っており、身の丈よりも長い。薄布を巻きつけただけのような衣服を身につけているが、それがかえって神秘的なものに映る。
「だって、オズは男の子としてくやしくないの? このままでいいの? ……ティルトに、ばかにされたままでいいの?」
 まるで自分のことのように、シアは呟いた。シアの言うことも一理ある。小さく息をついて、オズウェルは曖昧な笑みを浮かべた。
「でも……今、ティルトに敵わないのは本当だから。ティルトの精霊はもう何年も前に孵ったけど、ぼくの精霊はまだ孵っていないから。孵るかどうかも、わからないから。だから、出来損ないって呼ばれてもしかたない。それにぼくは、傷つけてまでティルトに勝ちたいとは思わないんだ」
 オズウェルは無意識の内に、懐の辺りを押さえていた。そこで確かに脈打ち、息づく彼の精霊。いつ孵るかもわからない、彼の、魂の分身。命の鼓動を感じても、その姿を実際に目にすることはいまだに叶っていない。これから先も出逢えないかもしれないと、何度そう思ったことか。
 いつ押しつぶされてもおかしくはないほどに、増大していく不安――それは、精霊と共にある他の皆とは、決して共有できない気持ちだ。
「……何より、ぼくの《卵》が孵らなければ、ティルトはこの島から出られないんだ。ティルトがぼくを目の敵にするのだって、無理はない」

 ――どうせ早くこの島を出たいだけのくせに!

 シアの言葉を思い出して、少しだけ胸が痛くなる。
「カーディル兄さんが島を出てもう四年になるし。音沙汰もないから、どこにいるかもわからないし」
 ティルトの五つ上の兄カーディルは、今から約四年前にこの島から旅立った。それはティルトの精霊が孵る、ほんの数ヶ月前のことだった。
 カーディルの誠実で実直な人柄は島中の民から好かれており、オズウェルもシアも彼を実の兄のように慕っていた。ティルトにとっても、彼は誰よりも自慢の兄だ。
 精霊が《卵》から孵ってすぐに、ティルトは《時渡りの民》たちの長である老ベルメールに島を出たいという旨を申し出た。しかし、同世代の者たちの《卵》――オズウェルとシアのそれら――が孵らない限りは、いくら先に孵ったとしても島を出る許可は与えられないというのが、老ベルメールの答えだった。
 ティルトがこの島を出られない何よりの原因は、オズウェルの《卵》が孵らないことにあるのだ。
 ティルトがどんなに島を出たいと願っても、オズウェルの《卵》が孵らない以上それは決して叶うことがない。つまり、オズウェルのせいでティルトは島から出ることができないということになり――早く島から出たいと焦るばかりのティルトの気持ちが、そのまま苛立ちや憎しみに近いような形となってオズウェルに向けられるようになったのである。
 そのこともあって、オズウェルはティルトに対して後ろめたく申し訳ない気持ちでいっぱいになってはいるものの、《卵》が孵るための明確な方法はない――つまり時の流れに任せるしかない以上、自分だけの力ではどうしようもないのも事実である。そう思うと同時に、ティルトの自分に対する扱いはいくら何でも理不尽ではないのかという不満が、そのまま彼への対抗心となって現れるようになり、今に至るのだ。いい勝負だった。


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