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第三章 空の歌声


4

「オズ、ティルトにいじめられたりしなかった?」
「だいじょうぶだよ、シア」
 オズウェルは隣に腰を下ろした少女を見やり、それから、力なく首を左右に振った。笑って迎えたつもりだったが、ぎこちないのが自分でもわかるくらいの笑みだった。彼女がやってくるのがもう少し遅ければ、もっとちゃんと笑えていたかもしれない。
「どうしたの? オズ……また、先生と喧嘩でもしたの?」
 やっぱり『先生』との喧嘩は日常茶飯事らしい。
「いや……子供としての不甲斐なさを痛感しているところかな」
「……なあに? それ」
 くすくすと笑って、両の膝を抱えながら覗き込むように見上げてくるシアに、オズウェルははぐらかすように笑った。
「色々悩みがあるってことだよ、多分ね」
「悩み? ……たとえば?」
「……たとえば……ぼくは、本当にノルに会いたいって思っているのかな……とか」
「オズ……?」
「見たいって思うのは本当なんだ。ノルがどんな姿をしているのか、見てみたいとは思えるんだ。でも、ノルの力はどうなんだろう……ぼくは、ノルの力を本当に必要としているんだろうか。ノルの力を、本当に欲しいと思っているんだろうか」
 シアは黙ったまま、オズウェルの話を聴いている。時折挟み込まれる相槌に安堵の気持ちを覚えながらも、オズウェルは震える声で続ける。
「精霊の力は……とても強い。世界に調和をもたらすための物だって言われているけれど、他者を傷つけるための力でしかないのかもしれない。もし、そんな力を手に入れてしまったら……ぼくは、どうなってしまうんだろう。その力に、溺れてしまったりはしないだろうか」
 オズウェルは空に向けて手をかざした。シアのそれよりは大きいが、ヘルメスのそれよりは小さな手だ。
 いつかこの手で掴み取るはずの力は、はたしてどのようなものなのだろうと考える。道具を使わずに火や風を起こせる力は、世界を護るために与えられた力は、裏を返せば他者を傷つけるための力でしかないのかもしれない。
 けれど、絶対的な力は人の心を魅了する。人はその力を欲し、時に争いの火種を撒き散らす。精霊の力を求め、この島を目指す外の人間が絶えないのがいい証拠だ。
「早く《卵》が孵ってほしいとは思っているけれど、ぼくは、誰かを傷つけるための力なんか欲しくないんだ。ぼくは……怖い」
 シアは今のオズウェルに対して一番相応しい言葉を探しているかのように、ほんの少しだけ口をつぐんだ。怖がることはないと、そう言ってオズウェルの不安を否定することは容易いだろう。
 だが、シアが探しているのはそんな言葉ではなかった。否定ではなく、肯定の言葉だった。しかし、既に《卵》から孵った精霊と共に生きているシアには、オズウェルが抱えているような悩みを同じように抱える術がない。オズウェルが何を悩み、迷っているのか、その心の奥底まではシアにはわからないのだ。
「……でも、オズならきっと、だいじょうぶよ。だって、オズは、ちゃんとわかっているでしょう?」
 迷った末にシアの口が紡いだそれは、オズウェルの感情を一瞬にして沸き上がらせた。
「ぼくが、何をわかってる? 力に溺れないことを? ――精霊の力がどんな物であるのか、ぼくは知らないのに?」
 シアははっとして口を押さえた。オズウェルは我に返ったように表情を曇らせ、くしゃくしゃと頭をかき回す。違う、そうじゃない。心のどこかでもう一人の自分が冷静に呟いた。
「……ごめん、これじゃただの八つ当たりだ」
「ううん、わたしも……ごめんなさい」
 二人は揃って目を別の方向に逸らし、俯いた。何とも言えない気まずい空気がその間に落ちる。それを追い払うかのように、ざわざわと風が木々の梢を揺らした。いつも聴いているはずなのに、今日の風の音はなぜだか初めて聞いた音のように聞こえた。
 日は既に傾きかけており、風は大分涼しくなっていた。オズウェルは意を決したように顔を上げる。
「シア……もしも先生が、本当に精霊を盗みに来たんだとしたら……どうする?」
 その問いかけは、シアにとっては唐突すぎるものだっただろう。そして、オズウェルにとっても、さほど大きな意味があるものではない。自分自身の中で半ば答えは出ているようなものであるし、シアの答えも、何となくわかっていた。
 それでも、問わずにはいられなかった。外から来た先生と、幼い頃からずっと一緒にいた自分と、果たして彼女はどちらにより信頼を置いているのか――比べるべきことではないとわかっていたけれど、なぜだか今、問わずにはいられなかった。
「オズ。だから、先生がそんなことするはずはないでしょう?」
 そう言われて否定されるのも承知の上で、オズウェルは更に言葉を重ねた。
「シア、もしもそうだったとしたら? シアがそう思っていても、そうだったとしたら?」
「……オズ、一体どうしたの? やっぱり先生と何かあったのね?」
 シアは訝しげに目を細めて問いかけてきた。やはり、ヘルメスに対する彼女の信頼は絶対と言っても過言ではないのだ。オズウェルはちくりと心のどこかを突き刺されたような痛みを覚えるが、ここで引き下がるわけにもいかない。
「先生の知り合いのあのよそ者が、先生は光の精霊を欲しがってるって言ったんだ。先生は、本当に精霊を盗みに来たのかもしれないじゃないか」
「……でも、オズ、先生がそう言ったわけじゃないでしょう? 先生の口から、先生の声で、その言葉を聞いたわけじゃないでしょう?」
 何の疑いも迷いも持たず、きっぱりと断言するシアに、オズウェルは内心ほっとしていた。その場にいたはずのオズウェルよりも、こうして話を聴いているシアのほうが、ずっと冷静に状況を判断している。
 だからこそ、彼女の口からこういった言葉を、聞きたいのかもしれなかった。
「……そう、なんだよなあ」
「そうでしょう? そうしたら、先生の口から直接聞かないと。先生のお友達がそうだって言っても先生は違うって言うかもしれないじゃない。オズは、先生よりも先生のお友達を信じるの?」
 オズウェルにとってはどちらも同じよそ者であるが、どちらを信用するかと聞かれたら、間違いなくヘルメスと答えるだろう。言い淀んでしまったオズウェルに、シアは畳み掛けるように言葉を繋いだ。常と変わらぬ穏やかな声音であるが、言葉そのものには冷静さがありありと満ちている。だからこそ、たとえ反論の言葉を思い描いても、彼女にぶつけることへの躊躇いがオズウェルの中に生じてしまうのだ。
「オズ。先生は、違うって言ったでしょう? ……オズのこと、呼んでくれたでしょう?」
「……うん」
 オズウェルはやはり、素直に自分の非を認めるしかなかった。心の中で激しさを増した嫌な気持ちが、穴を開けられてしまったかのように急速にしぼんでいく。だから大人になれないのだと、自分はまだ子供なのだと痛感する。
 ヘルメスが用意していたはずの本当の言葉も何も聴かないままに、それさえも拒絶して勢いよく飛び出してしまったのだ。やはり、悪いのはどう考えたってオズウェルのほうだ。
「オズ、ごめんなさいって、ちゃんと先生に言えるわよね? ……ちゃんと、仲直りできるわよね?」
 オズウェルはその声に突き動かされたように顔を上げた。沈痛な面持ちでこちらへと近づいてくるヘルメスの姿が見える。目が合った途端に動けなくなって、オズウェルは窺うようにヘルメスを見上げた。
「……オズウェルくん」
「先生……」
 今度は逃げ出したりはしなかった。大樹の根元に座り込んだまま、彼がここまでやってくるのをじっと待っていた。何を差し置いても言わなければならないことはわかっていたのに、言葉になって出てこない。
 ヘルメスはオズウェルの目の前にしゃがみ込む。同じ目線の高さで二色の瞳が交わる。いつもは大きなその体が、一回りも二回りも小さく見えた。申し訳なさそうな表情は、オズウェルが彼に向けているのと似たようなものだろう。
「ごめんね、オズウェルくん」
「ごめんなさい、先生」
 二人はほぼ同時に声を上げた。わずかな間を置いて、シアがくすりと笑った。


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