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第三章 空の歌声


1

 その日、ティルトは久しぶりに数年前の夢を見た。夢の中で再会した兄は、ティルトの記憶に残る彼と何一つ変わってはいなかった。
「お前はすぐに強くなれるよ。でも、俺はまだまだだから」
 兄が島を出る前日のことだ。それは今でも、昨日のことのようにはっきりと思い出せる。
 自分の頭をなでるその大きな手に、ティルトはあの時、生まれて初めて居心地の悪さを感じた。そのこともまた、覚えている。
「そんなことねえよ! 兄貴は……兄貴は誰よりも強いに決まってる」
 兄は誰からも好かれる存在だった。確かな強さと優しさを持っていたカーディルや、その分身である精霊ラティは、ティルトにとっては憧れの存在だった。
 ティルトにとって、一番身近にいた兄の存在は絶対だった。誰にも負けてはいけなかった。誰よりも強くなければいけなかった。
 今になって思えば、それはただの自分勝手な考えにすぎない。それでもあの頃は、兄さえいれば自分は生きていけると、当たり前のように思っていた。
 だから、兄が島を出ると聞いた時、ティルトは泣いた。泣いて、彼を困らせた。笑って見送ることなどできなかった。兄がいなくなったら、自分はどのようにして生きていけばいいのだろうと、そればかりを考えていた。
 そんなティルトに、カーディルは笑って言った。
「ティルト、お前も世界を知るべきだ。だから、俺は先に外の世界を見てくるよ。そうして、俺を育ててくれたこの島や世界樹に対して、俺がやれることをしたいんだ」
 それはティルトにとっては、再会の約束だった。それ以外の何者でもなかった。しかし、カーディルにとってはそうではなかったかもしれない。
 世界を見てくると言ってカーディルが島を出てから、もう四年が過ぎた。その間にティルトの精霊も孵り、シアの精霊も孵った。オズウェルの精霊さえ孵れば、自分は島を出ることができる。カーディルと同じ場所に行くことができる。
 カーディルはあの時、どんなことを思ってあの言葉を自分に告げたのだろう。ティルトは、それを知らなかった。知りたいがために、早く島を出てカーディルに追いつきたかったが、旅立ちの許しを請うた彼に、老ベルメールははっきりと告げた。
 ――同じ星の下に生まれたすべての《卵》が孵らない限りは、島を出ることを許すわけにはいかぬ――
 自分の《卵》だけでなく、オズウェルとシアの《卵》も孵らなければ、島を出ることはできないというのだ。
 だからといって、オズウェルの精霊が孵らないことを責めるのは間違っている。それはティルトにだってわかりきっている。大人たちに言わせれば、どこまで行っても子供の喧嘩だろう。
 けれど、責めずにはいられない。追い立てずにはいられない。早く島を出たいのに、それをオズウェルの《卵》が拒むのだ。
 早く島を出たい。けれども、オズウェルのせいでそれが叶わない。カーディルとの距離は広がるばかりだ。焦りが苛立ちへと変わり、オズウェルに対する態度となって表れる。
 自分の精霊が孵らないことへの不安や苛立ちは、ティルトにはわからない。ティルトはそんな気持ちを覚える前に、自らの精霊に出会ってしまったのだから。
「……くそ……っ」
 ティルトは乱暴に布団を跳ね除けると、苛立たしげにやわらかな枕を殴りつけた。そんな彼の心情とは裏腹に、窓の向こうに見える空はいっそ清々しいまでに晴れ渡っていた。


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