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第三章 空の歌声


7

「え、ええと、その……これは?」
「……やっぱり忘れてましたね、先生。ぼくも先生のことは言えませんけれど」
 曰く『先生の大好物』たるメルルのシチューや蒸し焼きのポルタの実だけでなく、この島では滅多に出てこないチーズと野菜たっぷりのパスタやピザなど、これでもかと言うくらいの彩りに溢れた食卓が彼らを出迎える。
 いつもよりも豪華な料理の数々を前に、ヘルメスはただただ目を丸くするばかりだった。その反応を楽しんでいるシアやティナを横目に、オズウェルはさっさと自分の席についてしまう。
「去年の今頃もやったじゃないですか、先生、覚えてません?」
「あ……あ、ああ……!」
《時渡りの民》は基本的に星と風の動きで季節を知る。その年によって多少のずれはあるものの、一年の動きはさほど変わらない。
 二年前のちょうど今頃、春と夏の境目と言ってもいい今の時期に、ヘルメスはこの島へと訪れたのだ。それはちょうど西の空に天牙星の赤い輝きが見え始めた頃のことだった。
「もう、そんなに経ってしまったんだね。あっと言う間だ」
 ヘルメスの声にも、幾許かの感慨がこもる。
「明日は世界樹の下でお祝いパーティーですから、もっと賑やかですよ。他の誰でもない、先生のために……みんな張り切ってるんです」
 季節の節目の祝いに来訪者への祝福が重なった所で、誰も文句は言わないどころか――島中を挙げてのお祭り騒ぎになるのは目に見えている。なるほど、どうりで皆が最近浮き足立っていたような気がすると――オズウェルは今更ながらにその理由に行き着いた。
「シア……ひどいな、ぼくにもずっと黙ってたんだ?」
「だって……オズはおしゃべりさんだから、きっと先生の耳に入ってしまうだろうって思って」
 悪びれる様子もなくしれっと答えてみせたシアに、オズウェルは軽く肩を竦めて笑い、スプーンを手に取った。

「……あの、ティナさん、一つ聞いてもいいですか?」
 テーブルに載った皿の中身のほとんどが空になりかけた頃、オズウェルは唐突にそう切り出した。
「ん、なあに? オズくん?」
 首を傾けたティナに対し、オズウェルは少しの間を置いた。ここで今、聞くべきではないかもしれないとも思ったけれども、言いかけてしまった以上はもう引き下がるわけにもいかず、意を決したように口を開く。
「その、ぼくの……父、と……母、って、どんな人でしたか……?」
 ヘルメスがわずかに表情を強張らせた。
「……うん? ああ……オズワルドとシャンテ、ね……」
 ティナはとても懐かしそうに、どこか遠いところを見るような眼差しでその名を呼んだ。そうして呼ばれた二つの名に、オズウェルは心の奥底から揺さぶられたような気がした。
 オズウェルにとって、父と母という単語は聖なるもの、もしくは禁断の言葉と言っても過言ではない。オズウェルの本当の父も母も既に世を去っているが、代わりにシアの両親であるジェイドやティナ、そして他の大人たちに囲まれて育ってきたため、その点でオズウェルは不自由を感じることはなかった。よその子だからと忌み嫌われることはなかったし、親がいないからと差別を受けることもなかった。本当の親はいなくとも、親代わりの大人たちはたくさんいたのだ。言ってしまえば、大人たちの誰もが、オズウェルや他の子供たちの親だった。
 民族としての《時渡りの民》は非常に少なく、島の外に出ている者を合わせても、百人に満たない。島にいる者はそのうちの半分以下だ。オズウェルでなくとも、島にいる者全員の顔と名前を一致させることくらいは容易い。
 しかし、それだけ狭く親しい、家族のようなつながりの中で、オズウェルは自分の両親に関する話をほとんど聞いたことがなかった。父と母、オズウェルだけがそう呼ぶことのできる人は確かにいたが、オズウェルが知っているのは、彼らがいたというその事実だけで、肝心の二人については、ほとんど知らない。
 父親の名前がオズワルド・アルス・カナンであったこと、母親の名前がシャンテ・アリエル・カナンであったこと――自分を生んだ二人の親について、オズウェルが知っているのはそれぞれの名前と、二人が島と世界樹を護って殉じたということだけだ。
 大人たちの思い出話の種にもあまり上ることがなく、また、彼らがオズウェルに語って聞かせてくれるということもなかった。少なくとも、オズウェル自身の記憶にはない。だから、オズウェルは聞かないのが当たり前だと思っていた。聞いてはいけないことのような気がしていた。自分を生んだ両親のことであるにもかかわらず、大人たちに聞くことすら憚られるほどだったのだ。
「聞いてはいけないことなら、聞きません。でも、そうでないのなら……知りたいんです。父と母が、いったいどんな人だったのか」
 ティナの口が閉ざされたまま、沈黙を纏った時が流れた。輪をかけておしゃべりと噂話が好きな彼女なら話してくれるかもしれないとオズウェルは期待していたのだが、そんな彼女でさえすぐに口を開く気配がないのを見ると、やはり、過去に遡ることは無理なのかもしれなかった。
 ティナが小さく、ごく小さく息をついたのは、オズウェルが諦めの言葉を口にしようとしたその瞬間だった。
「二人とも……とても誠実で、優しい人だった。とても真っ直ぐな目をしていて……何よりも、誰よりも強い人だったわ。オズワルドは……私の初恋の人だったの。これは、ジェイドには内緒ね?」
 人差し指を口元に添えて、ティナは笑う。ホットミルクのお代わりを注ぐために、シアが音を立てないよう静かに立ち上がった。
「どんなことが聞きたい? オズワルドとシャンテの馴れ初め話かしら? ……シャンテはとても情熱的な人だったわ。だからオズワルドはいつも押されてばかりいた。頭一つ半も違うのに、彼女の前にいる彼はとても小さく見えたわ。ええ、相性は悪くなかったわよ? それどころか本当に、ことん、ってはまるくらいにぴったりだった。だからオズくん、あなたが生まれたんですもの」
「……そう、なんですか?」
「ええ、そうよ。それとも……オズくんが生まれた頃の話が聞きたい? あなたが産声を上げた瞬間のオズワルドの顔とか……ああ、オズくんはとても寂しがり屋で夜中まで泣いてたから、シャンテもさすがにまいっていた時期があったわよ。でも、シャンテに抱かれるのがやっぱり一番好きで、違う意味でオズワルドも困っていたわ。彼が抱き上げるとすぐに泣いてしまったの。そうそう、私、オズくんのおしめも取り替えたことあるわよ?」
 オズウェルが質問の言葉を考えている間にも、次から次へとティナの話は変わった。
「じゃあ……ティナさん。父と、母が、死んだ時は……?」
 躊躇いながら、オズウェルはぽつりと呟いた。自分の声が震えるのを感じながら、それでも、ティナから目を逸らさない。シアの表情が悲痛で歪み、ティナの顔からは笑みが消える。ヘルメスは黙ったままだ。
 過去に起こった出来事を知りたいだけなのに、やはり知ることを恐れている自分がいたのは、どうしても否定できない。知るのが怖いのは確かだった。初めて知る事実に等しいから、余計に。けれども、知りたいという思いのほうがわずかに勝っていた。
 また、『死』という単語そのものに対する恐れも、そこにはあった。父と母が死んだその時のことを知ってしまったら、父と母がもうこの世界のどこにもいないということを、改めて認めなければならない。それが、怖いのかもしれなかった。
「……もちろん、忘れるはずなんてないわ。世界樹や私たちを護るように吹いた最期の風が、金色に輝いていたのをはっきりと覚えてる。二人とも、最期までオズくんのことを気にかけていた。その時のオズくんはまだとても小さくて、でも、お父さんとお母さんがいなくなってしまうって、わかっていたのね。二人を呼んで……ずっと泣いていたのよ」
 先ほどよりも幾分か声のトーンが落ちたものの、ティナから返ってきた言葉は、やはりオズウェルが予想していた以上に多かった。オズウェルは俯きながら深く息を吐き出し、ありがとうございますと、かすかな声で礼の言葉を紡ぐ。
 そんなオズウェルの前に、あたためたばかりのホットミルクが入った器が差し出された。顔を上げると、泣き笑いにも似たような顔のシアと目が合った。
「シアが……泣くことはないよ」
 その言葉に、シアはそっと目元を拭う。ティナに優しくなでられて、今度はエプロンの裾で顔を覆った。すすり泣くような声が聞こえる。
「……何よ、オズの代わりに泣いてるんじゃない……」
「オズくんは……だんだんオズワルドに似てきたわね。髪と瞳の色は、シャンテに似ているのだけれど」
 涙を流すシアの頭をなでながら、ティナはふと呟いた。オズウェルは一瞬きょとんとして、それから、そっと首を傾げる。
「そう、その表情とか本当にそっくり……やっぱり、オズくんは二人の息子よ。それも、自慢のね」
 ティナの笑みにつられ、オズウェルは照れたように笑ってみせた。ティナが言うところの、父親に良く似た笑みである。シアも――心配をかけまいと、無理をしたのかもしれないが――すぐに泣き止んで、ようやくオズウェルは安堵の息をついた。
 「……オズウェルくんも、よく頑張ったね」
 ヘルメスのその言葉に、オズウェルはまた首を傾げた。けれどヘルメスは笑ったまま、それ以上のことを答えてはくれなかった。
 ともかくも知りたかったことを知ることができて、オズウェルはとてもすっきりしたような気持ちになった。そして、心のどこかでずっとわだかまっていた何かが、とても綺麗な物になったようだった。


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