第四章 再会6
四年という月日が人をこんなにも変えてしまうのだということを、ティルトはその時、初めて知った。 カーディルの見た目そのものはさほど変わっていない。髪が伸びていたり、あるいは、遠目にはわからないが心なしか背も伸びていたかもしれない。それでも、強いて挙げるとするならば、変化はそれくらいだ。 しかし、ティルトの記憶にある彼と確かに違っている部分があった。 それは、瞳に宿っていたはずの強さだ。今のカーディルの瞳には、強さがなかった。ティルトが知っているはずの彼ではなかった。 見られていることに気づいたのか、カーディルの瞳がティルトに向けられる。実に四年ぶりの再会であったが、すぐに視線は逸らされた。カーディルはもう、ティルトを見ようとはしなかった。後ろめたいことでもあるのか、それとも、離れている内に弟の存在すら忘れてしまったのか。 理由はどうでもいい。ただ、変わり果てた現実だけがティルトの心に突き刺さった。 今の彼は、侵略者の一人であり――いわば『敵』なのだ。 胸が痛む。早く自分の精霊を見せたいと心の底から思ってはいたが、このような再会を望んでいたわけではない。 「のう、聞こえておらなんだか? もう一度聞こうか。カーディル、お主は何ゆえに、その者たちをこの地へ導こうと思うたのじゃ!?」 観念したように、カーディルは息をついた。そうして重く閉ざされていた口が、ゆっくりと開かれる。 「仕方がなかった。こうするしか、なかったんです」 かすれたような響きを持ったその声にも、やはり、ティルトが知っている強さは残されていなかった。けれど、もう、先程までに感じた以上の落胆が襲い掛かってくることはなかった。 ベルメールが舌を打つ。 「一時の迷いに流されたか。やはり変わらんの……お主の、その愚かなまでに優しすぎる心は。だから言うたじゃろうて。お前は外に出るなと」 「それでも、あなたたちがティルトを見殺しにできないことはわかっています。精霊を、こちらへ」 そう、ティルトを――彼らの希望とも言える幼い子を、見殺しになどできないのだ。 彼らはカーディルの言葉に従うことしかできない。 動いたのはティルトだった。カーディルに踏みつけられたままの腕を何とかして跳ね除けようと激しく暴れて、 「――兄貴! 離せよ、俺に触るんじゃねえ! ――ルザ! こいつらを焼き払え!」 カーディルに掴みかかろうとしたティルトの体を、飛び出してきた二人の兵士が地面に押さえつけた。ティルトは激しく抵抗しながら呼び慣れた精霊の名を叫ぶが、既に彼らの手の内にあったルザはその声に答えることができなかった。 常に側にいたはずの存在が離れてしまっていることに、覚えるのはどうしようもない不安だ。一人になって初めて、自分の無力さを悟る。 ティルトはカーディルを睨みつけた。カーディルはティルトを見ようとはしなかった。自分は彼に裏切られたのだと、ティルトはようやく実感した。今朝見た夢が、脳裏に蘇る。 「――あの言葉は嘘だったのかよ、兄貴! それとも、これが、この島や世界樹のために兄貴がやりたいことだったのかよ! ……兄貴、頼むから答えてくれよ……!」 喉の奥から絞り出したような涙混じりのその叫びに、しかし、答える声はなかった。ただ、自分の体を抑えていた兵士の一人に鳩尾の辺りを強く殴られて、ティルトはそのまま意識を失った。 ――次にティルトの意識が戻った時、最初に見えたのは、憔悴しきった表情で覗き込んできたティナの顔だった。 「だいじょうぶ? ティルトくん……」 「おばさん……何で、いや、ルザは……精霊たちは?」 ティナが指差した先に、ヘルメスが『陛下』と呼んだその人とカーディルが立っていた。その傍らに黒く細長い棒のようなものを籠のように汲んだ四角い入れ物があって――それが『檻』というものだとティルトは知らなかった――その中にティルトのルザだけでなく、この場にいる全員の精霊が閉じ込められているのがわかった。 「……鍵はカーディルが持ってる。でも、俺たちの力だけじゃ奪えない。鉄は硬いから――あの子たちに壊すこともできないだろう。燃やすことも無理だ。檻が燃える前にあの子たちが死んでしまう」 スヴェンがティルトだけに聞こえるように囁いて、そうしてタチアナを心配そうに見やった。 「若き王よ。お主はなぜ精霊の力を欲するのじゃ」 「――世の均衡を保ち、安寧をもたらすためさ」 「何を以て、おぬしの思う均衡と安寧が得られると考えておる」 「精霊。世の根幹たる絶対的な力だ。支配者たる者が持つにこそ相応しい。違うか? 精霊の力は偉大だ。こんなところで腐らせていいものじゃない。僕ならば、この力を世界のために使うことができる」 「精霊の力は世の定めをいかようにも変えることができる。お主の言う均衡と安寧をもたらすことも可能じゃが、世を破滅へと導くこともまた然り……いわば諸刃の剣とも言うべき存在。世の定めを知らぬ者が手にすれば持て余してしまうじゃろう。自らの身をも滅ぼしかねん。それでもお主は精霊の力を欲するのじゃな?」 「無論だ。僕はそのためにここに来た」 老ベルメールが語る言葉とその厳かな口調に込められている重みを、ヘルメスは感じた。けれど、きっとハロルドは感じることができないでいるのだろう。 ハロルドに王としての資質があるのは、ベルメールの問いに対する彼の答えを聞いているだけでも明白だ。血は争えないとはまさにこのことで、彼の表情も声もどこか、先代の父王のそれを思い起こさせる力があった。もっとも、父王を頑なまでに嫌っていた彼がそれを聞いたら、この場で首を跳ねられてしまうかもしれないが。 そう、彼は父王の王たる資質こそ受け継いだものの、その思想まで受け継いではくれなかったのだ。先代の王から何よりも受け取って欲しかったその心を、おそらく、彼は持っていない。 だから、彼では《時渡りの民》に敵わない。ヘルメスはそう思った。精霊たちは決して彼を受け入れることはないだろう。何より、その精霊と共にある《時渡りの民》を、敵に回したのだから。 そんな個人的な思いから彼の身を案じてみたところで、《時渡りの民》たちに突きつけられた要求という名の刃を砕くこともできない。精霊が敵の手中にある以上、今この場にいる者たちの力を合わせても、彼らに勝つことは難しい。 ――ならば。 ふと過ぎった考えを行動に移すまでに、さほど時間はかからなかった。場に満ちた静寂を踏みしめるようにヘルメスは立ち上がると、流れるような身のこなしで、傍らにいた兵士をあっと言う間に組み伏せた。 「先生!」 己を呼んだその声にただ一つ頷きを返しただけで、乾いた音を立てて転がった剣を素早く拾い上げると、自身に向けて振り下ろされた二人目のそれを弾き返した。鮮やかな弧を描いて空を舞った相手の剣が、地面に突き刺さる。丸腰になった相手の鳩尾の辺りを蹴りつけながら、その後ろに現れた三人目の兵士を睨み据える。 「ひっ……!」 恐れ戦き、息を呑む声。明らかな隙が生じたのを、その時既にヘルメスは悟っていた。オズウェルたちと同年代にも見えるような若さゆえか、否、それ以前にただ戦いというものを知らないだけなのだろうけれど――ほんの一睨みで戦意を喪失してしまったらしい少年を強引に押し退けると、勢いに任せて走り出す。 握り締めたままだった剣を放り出し、ティナの言葉を思い出す。『いつもの秘密基地』――西の森の先にある、海が見える岸壁。そこに、彼らがいるはずだ。この惨状を知らないであろう、二人が。知らないが故に、精霊と共に無事にいるであろう二人が。 「お待ちください、ヘルメス博士!」 追い掛けてくる兵士の声に振り向いている余裕もなかった。だが、ヘルメスの心配をよそに、ハロルドはあっさりと兵士たちの動きを制した。 「ほうっておけばいい。どうせこの島からは逃げられないんだ、何もできやしないよ。すぐに諦めて戻ってくるだろう。精霊を連れ出すほうが先さ。さあお前たち、早く精霊を船に運ぶんだ。精霊さえ手に入れてしまえば、もうこんな島に用はないからね」 ハロルドは興味の対象をあっさりと切り換え、まるで思いがけないプレゼントを受け取った幼子のように、藍色の瞳を輝かせるばかりだった。無理もないだろう。目と鼻の先、手を伸ばせば容易く触れることのできる場所に、彼が長年に渡って望み続けてきた力があるのだ。 この力さえあれば、いかに広大な大陸と言えども、制圧するのは時間の問題だろう。逆らう者はみな焼き払ってしまえばいい。あるいは河の水を増やして街ごと海に流してしまおうか。全てを吹き飛ばすような大風も思いのまま。大地を枯渇させてしまえば、私腹で肥えた愚かな貴族たちを骨と皮だけにすることだって可能なのだ。 何でも彼の思い通りだ。それを叶えることができる力が、今、目の前にある。 「……我らが魂の分身、そうやすやすと手中に収められるものと思うたら大間違いでな、若き王よ」 挑むような眼差しでハロルドを睨みつけ、苦々しく声を発した老ベルメールの傍らで、 「シア……オズくん……」 ヘルメスが駆けていった方向を見つめ、ティナは二人の――我が子の名を呼んだ。 |