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第 二 章  追 憶 の 森


1

 ──夢を、見た。
 それは、とても懐かしい夢だった。

 世界は夜色に彩られていて、見渡す限りの一面に、白い花が咲いていた。
 銀色の星明かりの下で、ほのかな光を抱く花が、さわさわと歌い揺れている。
 フィレアは一人、その小さな花園に佇んでいた。前を見ても後ろを見ても、同じような光景が広がるばかりだった。
 あちらこちらへと振り返るたびに、こんなに伸ばした記憶もないほどの長い髪が風になびく。
 永遠にも似た、美しい世界。
 訪れたことのない場所だった。けれど、夢の中のフィレアはその場所を知っていた。
 ――そこは、『故郷』だった。
「フィレア」
 花たちの歌う声に混ざって響いた己を呼ぶ声に、フィレアは振り返る。
 視線の先に、『誰か』がいた。
 花々の纏うそれに似た、淡い光を負った人影。寄り添うように立つ、男と女。
 顔ははっきりとは見えない。だが、夢の中のフィレアは、その二人が『誰』であるかを知っていた。
 フィレアは笑った。会いたかった人がそこにいた。
「おいで、フィレア」
 二人もまた笑って、そうしてフィレアへと手を差し伸べた。
 フィレアもまた、手を伸ばす。
 二人を拒む理由など、どこにもなかった。
 この手を取りさえすれば、二人の元へ行けるはずだった。
 しかし、それは叶わなかった。
「――!」
 どんなに手を伸ばしても、手を伸ばせば届く距離にいるはずの二人に届かない。
 どんなに声を張り上げようとしても、呼びたい名前が言葉にならない。
「フィレア」
 呼ばれる名前に、答えることができない。
「愛しているよ」
「愛しいフィレア」
 知っているはずのその笑顔が、思い出せない――

「……や、だ……っ」
 そしてフィレアは、はてしなく続く広い世界に一人取り残される。
「……やだああああああっ!!」
 声を上げても喉を枯らして叫んでも、彼女に気づくものは誰もいない。彼女の声に応えるものは何もない。彼女を呼ぶ誰かの存在も、彼女に差し伸べられる手も、何もない。
 あるのは、世界を覆わんばかりに咲き綻び、風に揺れる花たちだけ。
 無論、花はただそこに咲いているだけで、花たちも彼女の声に応えはしない。
 彼女は、世界に一人きりだった。


 翌朝、目を覚ました時には、フィレアは見た夢の内容をすっかり忘れてしまっていた。
「……よく眠れたか?」
 聞こえた声に顔を向けると、隣の部屋で一晩を過ごしたはずのクロノスがそこにいた。
 彼を追い出してから鍵も一緒に閉めたはずだったが、今となってはその記憶すら曖昧だった。
 視界もぼやけているような気がして、何度か、ゆっくりと瞬きを繰り返す。
 おぼろげな輪郭が像を結ぶと、そこにいたのはクロノス以外の誰でもなくて、どことなくほっとしたような心地すら覚えた。
「……まあ、ね」
 しかしながら語尾を濁したフィレアにクロノスが不思議そうな顔をするが、なんでもないと誤魔化しておく。
「なんだ、変な夢でも見たのか?」
「……たぶん。でもよく覚えてないの」
 クロノスの大きな手が、フィレアの頭をなでる。その触りかたがまるで壊れ物でも扱うような優しい手つきだったので、フィレアはそのくすぐったさに、思わず肩を揺らしてしまった。
「怖いって泣きつくわけにもいかないでしょう」
「俺の胸で泣けってか? いいぜ」
「どこをどう解釈したらそうなるの」
 唐突に伸ばされたクロノスの指先が、フィレアの目元の涙を拭う。
「……!」
 己が泣いていたことさえ、フィレアは気づいていなかった。
「朝じゃなかったら、このまま押し倒してたかもしれねえけど」
 悪戯気に目を細めるクロノスが放った言葉の意味くらいは、フィレアにも理解できた。
 途端に頬を赤くして勢いよく起き上がると、とうとうクロノスが堪え切れずに声を上げて笑い出した。
 しかし、そんなことにいちいち構う余裕などなかった。
「ばっ、ば、ばか、何言って……!?」
 一気に混乱が押し寄せてきて、反論の音すら紡げない有様だ。
「……ってのは半分くらい冗談だから、ゆっくり着替えて降りて来いよ」
 そんな様子の彼女を見て、クロノスはやはり笑ったままその頭をぽんと叩き、
「――っ、この……!」
 フィレアの手がとっさに投げつけた枕を器用に避けながら、そのまま逃げるように部屋を出て行った。



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